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「王様」のモデルは、タイ仏教の改革と列強諸国との外交に努めたタイ国王・ラーマ4世(在位:1851年 - 1868年)とされる。王が、イギリスからアンナ・レオノーウェンズ女史(Mrs. Anna Leonowens)を家庭教師に招き入れ、西洋の教育を子弟に行った。 アンナ女史は、この体験を元にして、1870年に「The English Governess at the Siamese Court」(英国婦人家庭教師とシャム宮廷)を、1873年には「Siamese Harem Life」(シャムの後宮生活)を著した。両書を元に、マーガレット・ランドンが小説「Anna and the King of Siam」(アンナとシャム王)を創作。これがミュージカルや映画の原作となった。 ただし、アンナ女史の著書にも創作と誇張が多く、アジア蔑視と思われる点が散見されると指摘される[要出典]。現在でも国王と王室が尊崇敬愛され、不敬罪が定められるタイでは、「王様と私」の上演・上映が禁じられている。 実際のレオノーウェンズとタイ国王 フィクションでは、夫を無くしたイギリス在住の婦人が教育係として請われて、初めて東洋に足を踏み入れることになっているが、実際のレオノーウェンズはインド生まれで生涯の大半をインド、東南アジアで暮らしており、東洋の文化には慣れていた。また、仕事 係(govenor)ではなく、単なる英語教師を募集していたのを見て応募したものであり、ラーマ4世との関係もそれ程深いものではなかったと言われる。王太子(後のラーマ5世)が即位後、奴隷制を廃止するのはレオノーウェンズの教育(アンクル・トムの小屋の話をした)の影響の様に描かれるが、単なる時代の流れへの対応と見られている。なお、レオノーウェンズの息子ルイは、その後タイに定住し実業家となっており、彼の残した会社は現在でも存在する。 (王族の娘と結婚している) 黄金狂時代(おうごんきょうじだい、The Gold Rush)は、アメリカ映画史において喜劇王と呼ばれたチャールズ・チャップリンの製作によるコメディー映画。1925年に制作されたオリジナル版と、1942年にチャップリン自身がナレーションをつけたサウンド版がある。 概要 1923年に、チャップリンは友人であるダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォード夫妻の家を訪れた際、アラスカ州のチルクート峠を越える探掘者の行列の写真を見て、作品のアイデアが浮かんだとされている。そのアイデアに、1848年のシエラ・ネバダ入植団の悲劇を取り入れた。撮影は同年冬から始まり、初めはシエラ・ネバダでロケーションが敢行されたが、チャップリンが風邪を引いたり、悪天候で撮影が思い通りに進まなかったこともあり、チャップリン・スタジオでの収録に変えた。スタジオ内に大掛かりな雪山や街のセットを作り、雪は塩と小麦粉で代用した。また、ヒロイン役のリタ・グレイが妊娠(後にチャップリンと結婚→チャールズ・ジュニア、シドニーの2児をもうけたのち離婚)したため、ジョージア・ヘイルと交代した。1925年5月に撮影が終了した。 冒頭の、チルクート峠を越える大勢の探掘者は、近くのサクラメントにいたホームレスなど600人をかき集めたものである。チャップリン映画としては異例の大規模なロケーションを敢行したり特撮を取り入れたりするなど、「チャップリン映画の中で最も力が入っている作品」とする評価もある。チャップリン自身、この作品でのチャーリーが理想のものと考えていたようであり、晩年に至るまで「チャーリーといえば、まずこの作品の履歴書 を思い浮かべて欲しい」と繰り返し述べている。 ロールパンのダンス、靴を食べるシーン、チャーリーがニワトリに化けるシーン、そして崖に落ちそうになる小屋から脱出を図るシーンなど、印象的なシーンが多いことから、他のチャップリンの名作を差し置いて「チャップリンの最高傑作」と評するファンもいる。 あらすじ 雪深い山に金鉱を捜し求めてきた一人の金鉱探し・チャーリー。猛吹雪に難渋した上転がり込んだ小屋にはお尋ね者のブラック・ラーセンがいた。やがて、同じく猛吹雪で転がり込んできた金鉱探しのビッグ・ジム・マッケイと避難生活を送ることとなる。寒さと飢えがピークに達し、ビッグ・ジムはチャーリーがネットキャッシング に見える始末。やがて靴を食べる生活まで始めた。 ビッグ・ジムと別れ、麓に出来た新興の街にやってきたチャーリーは酒場で出会ったジョージアに一目ぼれ。最初はチャーリーの単なる片思いであったが、ジョージアも粗暴なジャックに愛想を尽かし、チャーリーに少しずつ思いを寄せるようになる。 酒場で偶然再会したビッグ・ジムと艱難辛苦の上、ついに金鉱を探し当て百万長者になったチャーリー。帰りの船上でジョージアと再会。めでたく結ばれる。 後述のサウンド版公開以降は、一部を除くとほとんど公開されることはなかったが、1993年にサイレント映画研究の第一人者であるケヴィン・ブラウンロウとディヴィッド・ギルが修復している。1925年のベルリンプレミアの際には、チャーリーがロールパンのダンスを披露するシーンで、観客の喝采によってそのシーンを繰り返し上映している。 尚、オリジナル版は作品中に著作権表記が有るものの公開時期が古く、リニュー(著作権更新手続き)が行われなかった事から公開当時の米国の法律(方式主義)により権利放棄とみなされ、米国に於いてはパブリックドメインとなった。尚、現在の版権保有者であるリヒテンシュタインの法人は米国以外(監督没年を基準とする国)では著作権存続を主張してる。 1941年6月9日からローランド・トザローとともにすべてのネガを見直し、冗長と思われるカットや、字幕・シーンの差し替えなどを行った。この編集により、バーテンダー役のスタンリー・サンフォードの出演シーンが、ストーリー上カットできない部分を除いてすべてカットされた。一部シーンを別テイクに差し替えたため、同じ演技でもサイレント版とニュアンスが若干異なる部分もある。また、サイレント版でのラストシーンはチャーリーとジョージアのキスシーンだったが、サウンド版ではカットされている。 冒頭に、「黄金狂時代」の初公開時にこの作品を激賞し、1942年1月23日に急逝した評論家のアレクサンダー・ウールコットへの献辞"Dedicated to ALEXANDER WOOLLCOTT In appreciation of his praise of this picture."が添えられている。 リヴァイバル・プレミア以降、現在では特に断りのない場合「オンラインゲーム 時代」といえばサウンド版を指す。 大いなる眠り』(おおいなるねむり、The Big Sleep)は、アメリカの作家レイモンド・チャンドラーのハードボイルド小説。1939年刊。私立探偵フィリップ・マーロウを主人公とする長編シリーズの第1作目。 マーロウの視点からの一人称で描かれる。きわめて錯綜した筋立てで、内容の矛盾も多いとされるが、ハードボイルド小説史上の古典として高く評価されている。 映画化 三つ数えろ (1946年) 1946年に、監督ハワード・ホークス、主演ハンフリー・ボガートとローレン・バコールで、ワーナー・ブラザーズにより映画化された。日本では『三つ数えろ』の邦題で公開され、ヒットした。脚本には、ノーベル賞作家のウィリアム・フォークナーや、女流SF作家としても知られるリイ・ブラケットが携わっている。 大いなる眠り (1978年) 1978年には、舞台をイギリスに移した設定で、マイケル・ウィナー監督、ロバート・ミッチャム主演でリメイクされている。